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あまぞん・あまぞん





2010年11月23日 (火)

夕食はうちで食べよう

11月14日

母は少しずつ片づけをしているようだ。

しかし,

片づけの途中で

泥棒にとられたと思ったものが続々出てくるので

「泥棒が返しに来た。」

と言う。

つい,それは前に動かしていたものを

今日見つけただけではないかと言ってしまう。

母は,自分のことを信用しないのかと怒る。

これで前回もケンカになったのだけれど・・・

否定しない方がいいのは分かっていても

つい言ってしまう。

母にとっては,自分の家は

安心できるところではなくなってしまった。

泥棒が入ってきて

物をとったり動かしたりしているのだから・・・。

私は,もう泥棒は来ないから大丈夫だと言いたいために

つい言ってしまうのだけれど・・・。

家を離れると泥棒が入るから

あまり家を離れたくないらしい。

夕食のみ私の家で食べることにした。

お金をとられたと言う

11月13日

のんびりしていると

母から電話。

また泥棒が入ってお金をとられたと・・・。

迎えに行って

私の部屋に連れてきて

一緒に計算をする。

お金を使ったら記録したらいいと言っていたが

ノートには書いていなかった。

紙切れに計算の後。

領収書は見ず自分の記憶の金額で計算して

残りが少ないと言っている。

領収書を見て

計算をするとしっかり合っている。

しかし

他の所から封筒が出てくる。

これは私の知らないお金。

母曰く

18000円入っていたのに14000円になっていると。

五千円札がないのだという。

泥棒は五千円とって千円を返したことになる。

一応落ち着き夕食もうちで食べた。

実家に送って行く。

片づけを始めた

前日の片づけが呼び水となって

母は片づけを始めた。

やっと捨てることができるようになった。

私も仕事帰りに少しだけ手伝った。

また現金が見つかった。

リスのように

いろんなところにちょっとずつ現金を貯めている。

でも合わせると結構な金額になった。

現金は実家に置いておくと心配だから

私が預かれという。

私が預かることになった。

そして実家のかぎも私の部屋に置いておくことにした。

私の家のかぎも母は持たない。

泥棒に合いかぎを作られたら大変だという。

かぎを一つだけ持って行動。

また泥棒が入ったと

11月11日

仕事が終わってから母から電話あり。

また泥棒が入ったという。

保険証書がないという。

職場から実家へ直行。

それがあったらしい引き出しの中の物

あるかもしれない引き出しの中のものを

全部出して箱に入れ

私の家に持ってきて母と一緒に片づける。

大事にしまっていた引き出しの中の物の大半は

捨ててもいい紙だった。

ゴミ袋がいっぱいになる。

なくなったと思っていた保険証書は見つかった。

ずっと前に泥棒が持って行ったと言った書類も見つかった。

その上現金や商品券も見つかった。

現金は前の職場のボーナスの袋に入っていた。

母はそれを確かめもせず捨てようとした。

私が確かめるとそれぞれの袋に

現金が入っていた。

危なかった。

捨てるところだった。

見つかってよかったねと笑った。

母は,泥棒が返しに来たと思っている。

遅くなってから夕食を食べて,母は帰った。

実家をそうじ

妹夫婦がやってきて

4人で実家をそうじ。

不用品を軽トラックに積んで妹夫婦は持って帰ってくれた。

実家は

不用品であふれていて

ずっと前にもらった砂糖や食料品もいっぱいあった。

一部屋だけ片付いた。

母は3日に帰ってから一人で生活。

少しずつ片づけをした。

実家は,いわゆる汚部屋になっていて

こんな風になるまでは

母は実家に私たちが入ることを嫌がった。

台所も料理のできる状態ではない。

一人で生活している間も食料は届けた。

いろんなものがなくなっているといい

それを近所のAさんのせいにする。

Aさんが泥棒だと・・・。

これは認知症の症状。

否定しない方がいいとのことで

話を合わせる。

でもつらい。

母はAさんが泥棒だと言う

それを聞いているのがつらい。

大ゲンカ

11月2日

大ゲンカ。

母は自分の家に帰るという。

危ないから帰るな

いや帰る・・・

分かった

じゃあ帰れ~

と私が言って寝ると

母は玄関まで行って帰ってを繰り返す

バタンバタンと戸を開け閉めし

明かりをつけたり話しかけたりして私を寝かさない。

夜中の3時ごろ

とりあえず寝かす。

11月3日。

朝,母は実家に帰った。

一人で病院に行った

10月中旬。土曜日。

病院に行こうと私が言うと

薬は月曜日まであるのだから

その日に行くと母はいう。

私は休めないから一人で行けるのか

と聞くと

一人で行けるという。

では,今日一人で行って見せたら

次からは何も言わないというと

一人で行った。

一人で病院に行けたのがうれしかった。

さらに2週間後の月曜日。

一人で病院に行った。

このころはだいぶ元気になり

食事もおいしいといい

たくさん食べるようになった。

会話も増えた。

昼間は,チラシでゴミ箱を折ってもらった。

最初は

うまくおれなかったが

昼間の間にたくさん折っているようになった。

突然のお見舞いで逆戻り

散歩にも出るようになり

少しずつ少しずつ良くなってきたと思った頃

私の仕事中に

親戚が,私の自宅に母のお見舞いに来る。

会いたくないので

母は出なかったらしい。

これで逆戻り

また食欲が落ち

外にも出なくなった。

人に会いたくない時期だから

そっとしておいてほしいと伝えてあったのだが

分かっていなかったようだ。

私はそれが悔しかった。

外に出ない

土曜日,私の仕事が休みだったので

病院に連れていく。薬は7日分。

さらに1週間後,病院。

薬は14日分もらった。

この日から昼の薬がなくなる。

約2週間

仕事先から昼食時のみ時間休をもらって帰っていたが

昼の薬がなくなったので

帰らなくてもよくなった。

昼は,準備をしていればとりあえずは食べる。

相変わらず

食欲はなく,食卓に笑いはない。

会話もない。

ただ食べて寝るのみ。

この時期はずっと寝ていた。

妹(母からすれば娘)の訪問も嫌がる。

外に散歩に出ようと誘うが

出たがらない。

眠れない

同居生活の初め。

母は情緒不安定。

夜中に眠れないと言って私を起こす。

そして,身の置き所がないと言って泣く。

おいおいと泣く。

それが数日続く。

平日に仕事を休んで

母がいつも通っていいる病院に連れていく。

お医者さんは

うつと認知症ではないかという。

点滴を打ち

薬をもらって帰ってくる。

その日から

昼食時のみ仕事の休みをもらい

家に帰って

昼食を食べさせ,薬を飲ませるという生活が始まった。

母は,薬も飲みたくないといい

食欲もない。

「食べたくない,おいしくない。」

と言って泣く。

1日中布団の中で過ごしていた。

親戚からの電話や

実の姉からの電話でもパニックになる。

外界との接触を極端に嫌う時期だった。

病院で薬をもらってから

少し落ち着いた感じだった。

でもやはり夜は眠れない様子。

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